921年頃、大阪・阿倍野付近に生まれたと伝わる。若くして陰陽道の大家・賀茂忠行に師事し、師の旅の供をしながら陰陽道の奥義を学んだという。師の子・保憲からもさらに深い秘伝を受け継ぎ、陰陽道を賀茂家から継承した事実上の後継者となった。960年頃から天文博士・大内記・主計頭・大膳大夫などを歴任し、朝廷の天体観測・暦の作成・式占・物怪調伏などを一手に担った。985年、円融院が病の際に呪詛を行う物の怪を調伏して名声を高め、以後、天皇・公卿から多くの依頼を受けた。986年の花山天皇の出家(退位)の際には、前兆を予言したと伝わる。また藤原道長の政治的台頭を支える陰陽師としても重用された。その神秘的な術については式神(鬼神)を使役し、夜の闇に蛍を纏わせ、陰陽師の中でも突出した霊力を持つとされた。「母が白狐(信太の森の葛の葉)」という出生伝説も後代に広まった。1005年に85歳前後で没した。