弘安8年(1285年)11月17日、御家人の代表的指導者であった安達泰盛が、得宗北条貞時の内管領・平頼綱によって滅ぼされた事件。「霜月」は旧暦11月の別称である。安達泰盛は北条時宗の岳父であり、元寇後の恩賞問題や「弘安徳政」と呼ばれる幕政改革を主導していた。しかし時宗の死(1284年)後、9歳で家督を継いだ貞時の側近として台頭した平頼綱と対立。頼綱は泰盛が将軍就任を企てているとの讒言を貞時に吹き込み、鎌倉の松谷にあった泰盛邸を急襲した。泰盛・宗景父子をはじめ一族郎党500余人が討死、泰盛派の御家人は全国で追討され、連座者は数千に及んだとされる。この事件により御家人勢力は大打撃を受け、以後は得宗と内管領による専制政治(得宗専制)が確立した。鎌倉幕府の権力構造を根本から変えた画期的な政変である。