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PERSON
安達泰盛
安達泰盛
霜月騒動の当事者・幕政改革者
1231-1285 · 享年 54歳
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生涯
鎌倉幕府の有力御家人・安達氏の当主。外祖父は北条泰時。娘の覚山尼は第8代執権北条時宗の正室であり、北条得宗家と深い姻戚関係を持った。時宗の信任を受けて幕政に参画し、元寇後の困窮する御家人の救済を目的とした「弘安徳政」と呼ばれる幕政改革を主導した。所領紛争の解決や御家人の統制強化など、幕府の基盤安定を図る政策を推進した。しかし1285年、内管領の平頼綱との権力闘争が激化し、霜月騒動(弘安合戦)が勃発。泰盛は頼綱の軍に攻められ、一族500余人とともに滅亡した。この事件以後、得宗被官による専制が一層強まった。
人物像
元寇後の御家人救済に取り組んだ改革派の政治家。強い正義感と幕政改革への情熱を持つ一方、得宗被官との権力闘争に敗れた。
歴史的意義
霜月騒動は鎌倉幕府の政治構造を大きく変え、得宗専制体制の確立を決定づけた。安達氏の滅亡は御家人層の不満を増大させ、幕府滅亡の遠因ともなった。覚山尼が建立した東慶寺は「縁切り寺」として知られる。
逸話・エピソード
霜月騒動——一族500余人が滅んだ権力闘争の悲劇
安達泰盛は元寇後の困窮する御家人救済のために幕政改革「弘安徳政」を推進した改革派の政治家であった。しかし1285年11月(霜月)、内管領の平頼綱との権力闘争が暴力に発展した。頼綱軍が突然泰盛の屋敷を急襲し、泰盛は一族500余人とともに滅んだ。この「霜月騒動」以後、得宗被官の専制が一層強まり、御家人の不満が積み重なっていった。
関連する歴史的事件
1285
霜月騒動
弘安8年(1285年)11月17日、御家人の代表的指導者であった安達泰盛が、得宗北条貞時の内管領・平頼綱によって滅ぼされた事件。「霜月」は旧暦11月の別称である。安達泰盛は北条時宗の岳父であり、元寇後の恩賞問題や「弘安徳政」と呼ばれる幕政改革を主導していた。しかし時宗の死(1284年)後、9歳で家督を継いだ貞時の側近として台頭した平頼綱と対立。頼綱は泰盛が将軍就任を企てているとの讒言を貞時に吹き込み、鎌倉の松谷にあった泰盛邸を急襲した。泰盛・宗景父子をはじめ一族郎党500余人が討死、泰盛派の御家人は全国で追討され、連座者は数千に及んだとされる。この事件により御家人勢力は大打撃を受け、以後は得宗と内管領による専制政治(得宗専制)が確立した。鎌倉幕府の権力構造を根本から変えた画期的な政変である。
─ 完 ─
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