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PERSON
明石全登
明石全登
キリシタン武将
?-1615? · 享年 1615歳
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生涯
生年不詳。備前国の武将で、宇喜多秀家の重臣として仕えた。洗礼名はジョアン。熱心なキリシタンであり、領内での布教活動にも尽力した。1600年の関ヶ原の戦いでは宇喜多軍の主力として奮戦したが西軍は敗北。主家・宇喜多氏の改易後は浪人となり、筑前国に潜伏した。1614年の大坂冬の陣に際し、豊臣秀頼の招きに応じて息子と共に大坂城に入城。大坂五人衆の一人に数えられた。キリシタンの信仰から十字架の旗印を掲げて戦った。1615年(元和元年)の夏の陣で奮戦したが、大坂城陥落後の消息は不明。戦死説、九州への脱出説、海外逃亡説など諸説あるが、遺体は発見されなかった。徳川幕府は「明石狩り」を行って行方を捜索したが、ついに発見できなかった。
人物像
深い信仰心と武勇を兼ね備えた異色の武将。キリスト教の教えに従い自害を拒んだとされ、信仰を貫く姿勢は敵味方を問わず畏敬を集めた。
歴史的意義
大坂五人衆の中で最も謎に包まれた人物。キリシタン武将として十字架の旗印を掲げて戦った姿は、戦国時代における信仰と武の融合を象徴する。消息不明のまま歴史から姿を消した最後は、戦国のロマンとして今も語り継がれている。
逸話・エピソード
消えたキリシタン武将——大坂落城後の謎
1615年5月8日、大坂城が陥落した後、明石全登の姿は忽然と消えた。キリスト教の教義上、自害は大罪であるため、他の将のように切腹することはなかったとされる。徳川幕府は全登の行方を必死に捜索し、各藩に「明石狩り」を命じた。幕府がこれほど執拗に一人の浪人を追った理由は、全登がキリシタンの信望を集めており、再び信徒を組織して蜂起する恐れがあったためである。九州に潜伏した説、息子・内記と共に備前和気郡に隠れた説、南蛮(東南アジア)に脱出した説など諸説あるが、真相は今もなお謎のままである。
─ 完 ─
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