伊予国松山藩(愛媛県)出身。兄は陸軍中将の秋山好古。海軍兵学校を首席で卒業後、アメリカに留学してアルフレッド・マハンの海軍戦略理論を直接学んだ。帰国後はその知識を活かして海軍の戦術・作戦教育の確立に全力を尽くし、「海軍戦術の父」とも呼ばれた。日露戦争では連合艦隊の作戦参謀として、日本海海戦の全作戦計画を立案した。出港前の「敵艦見ゆ」電報や、「天気晴朗ナレドモ波高シ」の名文電報を起草したとされる。海戦後も連合艦隊の解散まで参謀を務め、日本の勝利に大きく貢献した。晩年は病を抱えながらも文筆活動と後進の指導に充て、1918年に49歳で病没した。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の一人として、兄・好古とともに広く知られる。その知的な戦略眼と詩人的感性が高次元で融合した稀有な軍人であり、「文武両道」の理想を体現した人物として後世に語り継がれている。秋山真之が愛した松山では、坂の上の雲ミュージアムがその生涯と功績を今に伝え、多くの旅人を惹きつけ続けている。