1916年2月、東大英文科在学中の芥川は『新思潮』復刊号に短編『鼻』(『今昔物語集』を翻案)を発表。禅智内供という長い鼻を持つ僧侶の心理を描いた傑作で、夏目漱石が絶賛する手紙を送った。「あゝ云ふものを是から二三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます」——漱石の手紙は芥川の作家人生の決定的瞬間となった。漱石は当時、第一高等学校の後輩・芥川らを自宅「漱石山房」の木曜会に招き、文学談義を交わしていた。同年12月9日、漱石は急逝するが、芥川は生涯、漱石を文学の師として仰ぎ、「漱石山房の木曜会」は芥川文学の原点となった。「鼻」は今日でも中学・高校国語教科書の定番作品として読まれ、1世紀を超えて愛され続けている。
「ぼんやりした不安」の自殺——1927年7月24日
1927年1月、姉の夫・西川豊が放火・保険金詐欺嫌疑で鉄道自殺、芥川は姉一家の借金6万円(当時の大金)を背負った。同時に神経衰弱・胃腸病・不眠症が悪化、友人への手紙にはしきりに死への誘惑が記された。7月24日午前、田端の自宅書斎で致死量のヴェロナール(バルビツール酸系睡眠薬)とジャール(ジャジール)を服用、ベッドに横たわった枕元に聖書を置いて服毒自殺、35歳。遺書『或旧友へ送る手記』で「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」と理由を記した。この遺書は大正末期の知識人の精神状況を象徴する言葉として有名になった。葬儀には谷崎潤一郎・志賀直哉・菊池寛・久米正雄ら大正文壇の名士が集結、7月27日田端の慈眼寺で告別式が営まれた(墓は染井霊園)。芥川の死は大正期の終焉を象徴する事件として、日本文学史に刻まれた。