尼子十旗・尼子七難八苦——中国地方の覇者を育てた底力
尼子経久は守護代という立場から主家・京極家を追放し自ら出雲の実権を握った。一度は大内義興に本拠・月山富田城を落とされ放浪の憂き目を見たが、わずかな手勢で再起して月山富田城を奪還した。この不屈の精神と謀略の巧みさから「謀将」と称された。尼子氏は最盛期に山陰・山陽・播磨・備前など11カ国に及ぶ勢力を誇り、「尼子十旗」と呼ばれる十人の重臣が各地を守った。後に毛利元就に滅ぼされるが、孫・勝久を奉じた山中鹿之介による再興運動は「尼子七難八苦」として語り継がれる。