1621年(元和7年)頃、肥後国天草郡(現・熊本県天草市)に生まれたとされる(1623年生説もあり)。本名は益田四郎時貞。父は小西行長の旧臣・益田甚兵衛。幼少時からキリスト教の洗礼を受け、洗礼名はジェロニモ(またはフランシスコ)。美少年で弁舌に長け、海の上を歩く、盲目の少女の目を治すなど数々の奇跡を行ったと噂され、キリシタンの間で「天の子」「デウスの使い」と信仰を集めた。1637年、島原・天草地方のキリシタン農民が重税と弾圧に耐えかねて蜂起した島原の乱で、わずか16歳にして3万7千の一揆軍の総大将に担ぎ出された。原城に籠城して幕府軍12万と対峙し約4ヶ月間抵抗したが、1638年2月28日に原城は陥落し、四郎は討死した。