阿麻和利
阿麻和利
平民から按司へ——勝連按司第10代
?-1458 · 享年 38歳
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生涯
生年は不詳。現在の嘉手納町出身の平民とされる。暴政を敷いていた第9代勝連按司・茂知附按司を倒して第10代按司の座に就いた。歌謡集『おもろさうし』には「肝高の者(きもたかのもの、気概にあふれた人物)」と讃えられており、中国・東南アジアとの積極的な海上交易によって勝連を大いに繁栄させた。第一尚氏6代・尚泰久王は勝連の勢力を牽制するため、娘・百度踏揚を阿麻和利に嫁がせるとともに、護佐丸を座喜味城から中城城へ移して監視役とした。正統23年(1458年)、阿麻和利は護佐丸が謀反を企てていると王府に讒言し、王命を得て中城城を攻めさせ、護佐丸を自刃に追い込んだ(護佐丸・阿麻和利の乱)。しかしその後、阿麻和利自身も首里城奪取を計画していたことが妻・百度踏揚らの密告によって発覚し、王府軍の討伐を受けて戦死した。
人物像
平民の身から実力でのし上がり、暴君を打倒して按司の座を勝ち取った野心と行動力の持ち主。海上交易で城を繁栄させる経済的手腕を持つ一方、権力への野心が破滅を招いた劇的な人生を歩んだ。
歴史的意義
正史『中山世鑑』では逆臣として描かれるが、近現代の研究では中央集権化を進める首里王府に対抗した地方勢力の代表として再評価する見方もある。居城・勝連城跡からは2013年にローマ帝国・オスマン帝国のコインが出土し、彼の時代の交易網の広がりを物語る世界的な発見として注目された。
─ 完 ─
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