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PERSON
阿野全成
阿野全成
頼朝の異母弟・僧侶
1153-1203 · 享年 50歳
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生涯
1153年、源義朝の七男として生まれた頼朝の異母弟。今若と呼ばれた幼少期に醍醐寺に入り僧侶として育てられ、全成(阿闍梨全成)の名を得た。1180年、頼朝の挙兵の報を聞いて還俗し鎌倉に参陣した。北条政子の妹・阿波局(実衣)を妻として北条氏と姻戚関係を結び、幕府内に独自の地位を確保した。頼朝の没後は次期将軍をめぐる権力闘争が激化し、全成は二代将軍・頼家の政策に批判的であったとされる。1203年、頼家の病中に呪詛を行ったとして嫌疑をかけられ、常陸国(現・茨城県)に配流となった。配流後まもなく頼家の命によって殺害されたとされる。これは北条氏が頼家を失脚させる比企の乱(同年)の直前の出来事であり、全成の排除は北条氏の権力掌握への布石の一つともみられている。享年51歳とも。妻の阿波局はその後も幕府に留まり、政子の側近として影響力を持ち続けた。
人物像
僧侶として修行を積んだが、政治的野心も持ち合わせていた。北条氏と姻戚関係を築き幕府内での地位を確保しようとしたが、権力闘争の渦に巻き込まれた。
歴史的意義
頼朝の兄弟が次々と粛清される鎌倉幕府の血なまぐさい権力構造を象徴する人物。妻の阿波局は政子の妹として幕府で影響力を持ち続けた。
逸話・エピソード
頼家への呪詛と流罪——権力闘争の渦に飲まれた頼朝の弟
阿野全成は頼朝の異母弟として幕府内に独自の地位を持ち、北条政子の妹・阿波局を妻として北条氏とも親戚関係にあった。しかし1203年、二代将軍・頼家が病に伏せると、全成は頼家の回復を妨げる呪詛(調伏)を行ったとして嫌疑をかけられた。これは北条氏が頼家を失脚させるために仕掛けた陰謀とも考えられる。全成は常陸国に配流され、まもなく頼家の命令により殺害された。同年、北条時政は頼家を修禅寺に幽閉し(後に殺害)、後継者として実朝を擁立する比企の乱が起きた。全成の排除はこの一連の権力移行の布石であった。
─ 完 ─
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