1178年、高倉天皇と平徳子(後の建礼門院)の皇子として生まれた。外祖父は平清盛である。わずか1歳で践祚し、1180年(数え年3歳)に正式に即位した。しかしこの年、以仁王の令旨を受けて源氏が各地で挙兵し、源平の争乱が始まった。1183年に木曾義仲が京都に迫ると平家は安徳天皇を奉じて都落ちし、以後2年間、西国(九州・山口・香川)を転々と流浪した。1185年、壇ノ浦の最終決戦で平家軍は壊滅した。追い詰められた平家の女性たちは我が子や孫を抱いて入水した。安徳天皇の祖母・二位尼(平時子)は幼帝を抱き上げ「波の下にも都がございます」と語りかけながら海に飛び込み、安徳天皇はわずか8歳(満6歳)で崩御した。三種の神器のうち神剣・草薙剣は安徳天皇と共に海底に沈み、今日まで回収されていない。赤間神宮(山口県下関市)に安徳天皇は祀られており、境内には平家一門の墓所がある。