1535年頃、摂津の土豪の家に生まれた。池田氏に仕えた後、織田信長に見出されて重用された。摂津一国の支配を任され、有岡城(現在の兵庫県伊丹市)を拠点とした。しかし1578年、突然信長への反旗を翻し、有岡城に籠城した。反逆の理由については、石山本願寺との通謀、家中の内紛、信長への不満など諸説ある。信長は家臣の黒田官兵衛を説得に派遣したが、村重は官兵衛を土牢に幽閉してしまった。1年余の籠城の末、村重は単身で毛利氏のもとへ脱出し、妻子・家臣を有岡城に残した。1579年に有岡城は落城し、残された一族・家臣ら数百名が処刑された。村重はその後も毛利氏や本願寺の下に身を寄せ流浪したが、本能寺の変後に秀吉に赦されて京に戻り、茶人・道薫として余生を過ごした。1586年に51歳で没した。