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PERSON
朝倉義景
朝倉義景
越前の文化大名
1533-1573 · 享年 40歳
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生涯
1533年、越前朝倉氏の当主・朝倉孝景の嫡男として生まれた。1548年に家督を継ぎ、越前の支配者となった。文化・芸術を愛する風雅な大名として知られ、一乗谷に優れた文化を花開かせた。足利義昭が上洛の援助を求めて訪れた際、これを庇護したが再三の上洛要請にも応じなかった。1570年、織田信長が越前に侵攻してきたが、盟友・浅井長政の反織田への転換により信長の撤退を余儀なくさせた。その後も信長と対峙し続けたが、1573年8月の一乗谷の戦いで大敗を喫し、一族に裏切られて自刃した。享年41歳。政治・軍事面では優柔不断との評価もあるが、一乗谷文化の守護者として越前に独自の文化圏を形成した。一乗谷朝倉氏遺跡は国の特別史跡に指定されており、当時の城下町の姿を今に伝える貴重な史跡として多くの訪問者を集めている。
人物像
文化・芸術を深く愛する繊細な性格。軍事面では決断力に欠けると評されることもあったが、文化人としての深い教養と美意識は一乗谷文化の発展に大きく貢献した。
歴史的意義
一乗谷朝倉氏遺跡として現在も福井県福井市に保存されており、当時の城下町の様子を今に伝える貴重な史跡となっている。国の特別史跡・特別名勝に指定され、朝倉氏の文化的遺産は越前文化の基盤を形成した。
逸話・エピソード
信長包囲網の崩壊——義景の優柔不断が越前朝倉氏を滅ぼした
朝倉義景は「信長包囲網」の重要な一員であり、浅井長政とともに織田信長と対峙した。しかし1570年の姉川の戦いでは決定的な勝利を収めることができず、上洛を果たす機会を逃し続けた。1573年には将軍・足利義昭が信長に追放されて包囲網が崩壊。信長の越前侵攻を受け、一族に裏切られた義景は刀根坂で大敗し、逃げ延びた末に一門の朝倉景鏡に自害に追い込まれた。義景は文化人として優れた面を持ち、一乗谷を京文化に匹敵する文化都市に育てたが、武将としての優柔不断が朝倉家を滅亡させた。
─ 完 ─
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