永享6年(1434年)生まれ。第5代鎌倉公方。文安4年(1447年)に鎌倉公方に就任したが、関東管領上杉氏との対立が続いた。享徳3年(1455年)、上杉憲忠を御所に招いて謀殺し享徳の乱が勃発。上杉方の反攻で鎌倉を維持できず、下総国古河へ本拠を移し、長禄元年(1457年)に修築なった古河城に入城した。以後「古河公方」と呼ばれ、約40年間にわたり古河城を拠点に関東に号令した。文明14年(1483年)、幕府と和睦(都鄙合体)し鎌倉公方としての地位を承認される一方、鎌倉復帰は断念した。明応6年(1497年)、古河にて64歳で没した。子孫は政氏・高基・晴氏・義氏と続き、古河公方は約130年間存続した。