摺上原の惨敗——会津蘆名家200年の歴史を終わらせた若き龍の猛攻
蘆名義広は関東の名門・佐竹義重の次男が蘆名家に養子入りした人物で、蘆名家の後継問題から内紛を経て当主となった。しかし1589年、伊達政宗が2万余の軍勢で蘆名領に侵攻し、摺上原(福島県猪苗代湖北岸)で激突した。蘆名軍は壊滅的な大敗を喫し、義広は会津を脱出して実家の佐竹家に逃げ帰った。これにより200年以上続いた会津蘆名家は滅亡した。摺上原の戦いは伊達政宗の最大の軍事的勝利として語り継がれ、「独眼竜」の名声を確立した戦いでもあった。義広はその後も佐竹家で存続し、関ヶ原後に秋田藩家臣として名を残した。