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PERSON
阿波野青畝
阿波野青畝
ホトトギス「四S」・俳誌「かつらぎ」主宰
1899-1992 · 享年 93歳
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生涯
1899年(明治32年)、奈良県高市郡高取村に生まれた。本名は敏雄。幼少期に聴力を失い、生涯難聴に苦しんだが、その分だけ視覚的感受性を研ぎ澄ました。高浜虚子に師事し、昭和初期に「ホトトギス四S」の一人として頭角を現した。1929年、関西で俳誌「かつらぎ」を創刊・主宰。関西俳壇の重鎮として多くの弟子を育てた。大和の古寺・風土を詠む素朴で明朗な句風で知られ、戦後は日本芸術院会員、文化功労者として顕彰された。1992年12月22日、93歳で没。
人物像
難聴という困難を抱えながら、自然と古寺を明るく素朴に詠み続けた温厚な人物。門弟には厳格であるとともに人情味にあふれ、関西俳壇の父として慕われた。
歴史的意義
俳誌「かつらぎ」は1929年創刊以来続く関西最大級の俳誌。代表句「牡丹百二百三百門一つ」「ちるさくら海あをければ海へちる」は広く愛唱される。奈良県高取町に句碑と記念館がある。
逸話・エピソード
難聴と視覚の研ぎ澄まし
幼少期の病で聴力を失った青畝は、音のない世界で視覚を研ぎ澄ますことで俳句に向き合った。そのため「見る俳句」の極致と評される明晰な写生句を多く残し、虚子をして「青畝は眼で詠む」と言わしめた。
─ 完 ─
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