飯盛山での集団自刃——白虎隊の悲劇が語り継がれる理由
1868年8月(慶応4年)、白虎隊士中二番隊の少年20名は飯盛山から鶴ヶ城方面が炎上しているのを見て「城が落ちた」と誤認し、16〜17歳の少年たちが自刃した(うち1名は蘇生)。実際には城はまだ落城しておらず、最後の戦いの最中だった。この誤解による集団自刃は「忠義と誤解の悲劇」として後世に語り継がれた。飯盛山には自刃の地と19名の墓が今も残り、毎年多くの参拝者が訪れる。1935年にはムッソリーニからイタリア製の石碑が贈られており、白虎隊の精神は国際的にも注目された。