応永28年6月7日(1421年7月6日)生まれ。父・馬加康胤が享徳の乱に乗じ千葉氏宗家を滅ぼし当主を僭称したが、康正元年(1455)康胤・千葉胤持の戦死を受け輔胤が家督継承。まもなく東常縁の攻撃で居城・千葉城を追われ下総国佐倉へ逃れた。文明3年(1471)上杉顕定に追われた古河公方足利成氏を庇護、翌年成氏を古河へ帰還させ、古河公方との同盟を軸に下総での勢力を固めた。文明10年(1478)長尾景春の乱では子・千葉孝胤を派遣し景春を支援。文明年間(1469-1486頃)、佐倉の地に新たな本拠・本佐倉城を築いたと伝わる。延徳4年2月15日(1492年3月13日)、71歳で没し孝胤が継いだ。本佐倉城はその後9代にわたり千葉宗家の本拠として下総の中心地となり、天正18年(1590)の小田原征伐後の千葉氏改易まで存続した。