戦国時代の武将・大名。土佐国(現・高知県)の長宗我部氏の当主。幼少時は色白で大人しかったことから「姫若子」と揶揄されたが、初陣の長浜の戦い(1560年)で勇猛な戦いぶりを見せ「鬼若子」と称されるようになった。父・国親の遺志を継いで土佐の統一を達成し、さらに阿波・伊予・讃岐へと侵攻して1585年に四国をほぼ統一するという偉業を成し遂げた。しかし同年、羽柴秀吉が10万の大軍で四国攻めを開始。圧倒的な兵力差の前に降伏し、土佐一国のみを安堵された。朝鮮出兵(文禄の役)にも参加したが、嫡男・信親を釜山近郊の戸次川の戦いで失い深く悲しんだ。関ヶ原の戦いの前年、1599年に61歳で病没した。