1567年、出羽国米沢の伊達家第16代当主・輝宗と義姫の嫡男として生まれた。幼名は梵天丸。10歳頃に天然痘で右目を失い、後年「独眼竜」と呼ばれることになった。1584年、18歳で家督を継ぐと猛烈な勢いで奥州制覇に乗り出した。1589年の摺上原の戦いで蘆名義広を破り、会津を制圧。わずか数年で奥州南部の大半を席巻し、最盛期には南奥羽に170万石超の大版図を誇った。しかし豊臣秀吉の小田原征伐後に惣無事令違反を問われ、会津・南奥州の大半を没収された。その後も仙台藩62万石の藩主として、城下町仙台の建設・産業振興・新田開発などに取り組み、東北有数の大藩を育て上げた。関ヶ原の戦いでは徳川東軍に属し、上杉景勝を牽制した。1613年には家臣・支倉常長を慶長遣欧使節としてスペイン・ローマに派遣し、海外貿易の開拓を狙った。この国際的視野は当時の大名の中でも際立っていた。1636年に70歳で没した。伊達政宗が建設した仙台城(青葉城)跡には騎馬像がそびえ立ち、今も多くの観光客が訪れる仙台の象徴となっている。