大治4年(1129年)生まれ。藤原北家山蔭流の一族。保元元年(1156年)、下野国芳賀郡中村荘(現・栃木県真岡市)に下向し、中村八幡宮の南東に館(中村城)を築いてこれを管理し「中村太郎」と称した。治承4年(1180年)の源頼朝挙兵に参じ、文治5年(1189年)の奥州合戦では朝宗の4人の息子たちが前衛として出陣、藤原泰衡方の最前線基地であった信夫郡石那坂の城砦を攻略し、大将・佐藤基治を生け捕りにする戦功を挙げた。この功により朝宗は激戦地・阿津賀志山を含む陸奥国伊達郡を地頭として拝領し、これを機に「伊達」姓を称した。次男・宗村(為重)が伊達郡を継いで奥州の名族・伊達氏の祖となり、三男・資綱は下野中村を相続して下野中村氏の直系となった。建久10年(1199年)、71歳で没した。