正和元年(1291年)生まれ。伊達氏7代当主。元弘の乱では鎌倉幕府方として畿内へ出陣したが、建武の新政期に陸奥守として下向した北畠顕家に従い、奥羽経営の評定衆に加わった。顕家の戦死後も北畠親房を奉じて南朝方にとどまり、興国4年(1343年)には常陸伊佐郡の伊佐城に一族と共に籠城。小田城・関城・大宝城の南朝勢と連携して北朝方の高師冬の攻撃に長く抗戦したが、同年11月に落城し、自領へと退いた。和歌にも通じ『風雅和歌集』に入集する文化人でもあった。貞和4年(1348年)、58歳で没した。子孫は後に奥州の戦国大名・伊達政宗を輩出する伊達氏の血脈を伝えた。