伊達行朝
伊達行朝
南朝方に殉じた伊達氏7代当主
1291-1348 · 享年 57歳
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生涯
正和元年(1291年)生まれ。伊達氏7代当主。元弘の乱では鎌倉幕府方として畿内へ出陣したが、建武の新政期に陸奥守として下向した北畠顕家に従い、奥羽経営の評定衆に加わった。顕家の戦死後も北畠親房を奉じて南朝方にとどまり、興国4年(1343年)には常陸伊佐郡の伊佐城に一族と共に籠城。小田城・関城・大宝城の南朝勢と連携して北朝方の高師冬の攻撃に長く抗戦したが、同年11月に落城し、自領へと退いた。和歌にも通じ『風雅和歌集』に入集する文化人でもあった。貞和4年(1348年)、58歳で没した。子孫は後に奥州の戦国大名・伊達政宗を輩出する伊達氏の血脈を伝えた。
人物像
武勇に優れる一方、和歌にも通じた文武両道の人物。北畠親房・顕家父子への忠誠を貫き、劣勢の南朝方にあっても最後まで戦い抜いた。
歴史的意義
伊達氏の南北朝期における中興の祖として知られ、その血脈は後に奥州の覇者・伊達政宗へとつながった。伊佐城の攻防戦は常陸国における南北朝動乱を象徴する戦いとして語り継がれる。
さらに深く
家系図
家系の記録は未登録です。
─ 完 ─
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