character/[id]

PERSON
太宰治
太宰治
無頼派の旗手——『人間失格』の作者
1909-1948 · 享年 39歳
+ 推しに追加
家系図を見る
生涯
1909年6月19日、青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市金木町)の大地主・貴族院議員・津島源右衛門の六男として生まれた。本名・津島修治。豪邸「斜陽館」(現・太宰治記念館)で育ち、旧制弘前高等学校を経て1930年東京帝国大学文学部仏文学科に入学(1935年中退)。1930年11月に最初の自殺未遂(鎌倉・腰越で女給・田部シメ子との情死で女性のみ死亡)、1935年3月2度目の自殺未遂(鎌倉八幡宮裏山で縊死未遂)、1937年3月3度目の自殺未遂(内妻・小山初代と水上温泉で心中未遂)、1948年6月に4度目(愛人・山崎富栄との玉川上水入水心中で成功)と、生涯に4度の自殺未遂を経験。麻薬・アルコール中毒にも苦しんだ。1939年、井伏鱒二の媒酌で石原美知子と結婚、比較的安定した時期に『富嶽百景』『走れメロス』(1940年)、『津軽』(1944年)、『斜陽』(1947年、戦後没落貴族を描き女性ファンを獲得、「斜陽族」が流行語に)、『ヴィヨンの妻』(1947年)等を執筆。戦後は坂口安吾・織田作之助らと「無頼派」「新戯作派」と呼ばれ、戦後日本文学の新たな潮流を形成。1948年3-5月『人間失格』を執筆(同人誌『展望』6-8月号連載)、代表作となる。1948年6月13日深夜、山崎富栄とともに東京・三鷹の玉川上水に入水、6月19日(奇しくも39歳の誕生日)に遺体発見。墓は三鷹の禅林寺。
人物像
極端な自己嫌悪と甘えの混在した複雑な人格。「生まれて、すみません」「恥の多い生涯を送って来ました」は『人間失格』冒頭の名文だが、作者自身の実感でもあった。富裕な生家への罪悪感、プロレタリア運動への挫折、女性遍歴と自殺未遂——自己の弱さを徹底的に露呈しながら、それを美的に昇華する独自の文学を生んだ。井伏鱒二を「生涯の師」として敬愛する一方、川端康成・志賀直哉らには激しい敵意を露わにした。甘えと反抗の表裏一体は、戦後青年の心理に響き、今もなお「太宰的」という形容詞が若者の精神風景を表す言葉として使われる。
歴史的意義
『人間失格』は累計発行部数700万部を超え、日本文学史上最大のベストセラーの一つとなっている。『走れメロス』は現在も中学国語教科書の定番、「友情と信頼」の古典として広く読まれる。太宰文学は青年期の自我確立・疎外感・自己否定といった普遍的テーマを扱うため、戦後から令和まで各世代の若者の「青春の書」として読み継がれてきた。青森県五所川原市金木町の生家「斜陽館」は国の重要文化財に指定、太宰治記念館として年間10万人以上が訪れる。三鷹市の禅林寺には太宰の墓があり、毎年6月19日「桜桃忌」(代表作『桜桃』より)には全国から多数のファンが集い、俳句・朗読等の行事が開催される。2019年の生誕110年、2020年の没後70年には記念出版・展覧会が相次ぎ、太宰文学の現代性が再確認された。映画・ドラマ・アニメ化も多く、2020年前後には米津玄師『人間失格』楽曲・『文豪ストレイドッグス』等でZ世代にも浸透している。
逸話・エピソード
4度目の自殺——玉川上水入水(1948年6月13日)
1948年6月13日深夜、太宰は愛人・山崎富栄(当時28歳、美容師)と共に三鷹の自宅近くの玉川上水に身を投げた。二人は赤い紐で互いの身体を結んでおり、心中の意志が明確であった。6月19日(太宰の39歳の誕生日)、投身推定地から約1km下流の玉川上水に架かる新橋付近で二人の遺体が発見された。遺書は複数残され、妻・美知子と子供たちへの詫び、『人間失格』の原稿完成への言及があった。死因は心中とも、富栄による無理心中とも諸説あるが真相は藪の中。葬儀は三鷹の自宅で行われ、多数の文壇関係者・読者ファンが押し寄せた。『人間失格』は『展望』6月号から連載開始、太宰の死により時代の象徴的作品となった。太宰の墓は三鷹市の禅林寺にあり、森鴎外の墓の隣に位置する(生前から太宰は森鴎外を慕っていた)。6月19日は「桜桃忌」として毎年追悼行事が行われ、太宰文学の永続性を示している。
芥川賞への執着——1935-1936年
1935年8月、第1回芥川賞(対象:1935年上半期作品)が設定されると、太宰は短編『逆行』で候補となるも石川達三の『蒼氓』に敗れ次席。太宰は選考委員・川端康成に「大作家になる」と訴える執念の手紙を送った。川端の「作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾み」という選評に激しく反発、「刺す。大いに刺す」と書簡で脅すほどに激怒。1936年の第3回芥川賞でも候補となるも無冠、以後1937年までに太宰の芥川賞への執着は病的なものとなった。この執着は『人間失格』の中でも言及されている。太宰は生涯芥川賞を得られなかったが、没後、その名誉は『人間失格』『斜陽』『走れメロス』等の作品群で芥川賞以上に不朽のものとなった。現在の「芥川賞」は人気・話題性を増し、太宰の時代から90年以上経ってなお日本文学界最高の新人賞として機能している。
ゆかりの地 — 1
禅林寺(太宰治の墓)
東京都
昭和23年(1948年)6月13日、愛人の山崎富栄と共に玉川上水に入水自殺。享年38。遺体は6月19日(奇しくも39歳の誕生日)に発見された。この日は「桜桃忌」として毎年多くのファンが墓参に訪れる。自殺未遂を4度経験しており、最後の作品「人間失格」執筆中から精神的に追い詰められていたとされる。辞世の作品はなく、遺書には「小説を書くのがいやになったから」とだけ記されていた。
─ 完 ─
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U