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PERSON
栄西
栄西
臨済宗の祖・茶祖
1141-1215 · 享年 74歳
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生涯
備中国(現在の岡山県)の神官・賀陽重兼の家に生まれ、幼くして仏道に進み14歳で比叡山に登った。天台教学を修める傍ら禅への関心を深め、1168年(27歳)に初めて宋に渡り天台の典籍を持ち帰った。1187年には再び入宋し、臨済宗の天台万年寺・虚庵懐敞のもとで本格的に禅を修め、印可を受けて帰国した。帰国後、博多に聖福寺を開いたが旧仏教の比叡山などから「禅は国家を傾ける」と激しく弾圧された。鎌倉幕府の庇護を求めて上洛・下向を繰り返す中、1202年に将軍・源頼家の支援を得て京都に建仁寺を開創し、日本初の禅寺として臨済宗の布教拠点とした。また渡宋の際に茶の種子を持ち帰り、各地に栽培を広めた。1211年には日本最初の茶の本『喫茶養生記』を著し、将軍・源実朝に献上して茶の薬効を説いた。実朝の二日酔いを茶で治したという逸話も伝わる。1215年に75歳で入滅。臨済禅と日本の茶文化という二つの偉大な遺産を後世に残した。
人物像
行動力に富み、二度の渡宋を果たした冒険的な僧侶。旧仏教の弾圧に屈せず、禅の普及に生涯を捧げた。実践的で柔軟な姿勢を持っていた。
歴史的意義
臨済宗を日本に根付かせ、建仁寺を京都五山の一つに発展させた。茶を日本に広めた功績は計り知れず、日本文化の二大要素(禅と茶)の礎を築いた。
逸話・エピソード
将軍・源実朝の二日酔いを茶で治した逸話
栄西が渡宋から持ち帰った茶は当初、薬として扱われた。1214年、鎌倉幕府三代将軍・源実朝が前日の宴で酒を飲みすぎて体調不良になったとき、栄西は茶とともに「喫茶養生記」を実朝に献上し、茶の薬効を説いた。実朝が茶を飲んで回復したという逸話が広まり、茶が武士社会に広まるきっかけの一つになったとされる。
二度の渡宋で臨済禅と茶を日本に伝えた冒険的僧侶
栄西は1168年と1187年の二度にわたり宋に渡った。当時の渡宋は命がけの航海であったが、二度目の渡宋では臨済宗の高僧・虚庵懐敞のもとで印可を受け、正式な禅の法脈を受け継いだ。帰国後は旧仏教勢力(比叡山)から「禅は国を傾ける」と激しく弾圧されたが、鎌倉幕府の庇護を得て1202年に建仁寺を開き、日本における禅の礎を築いた。
関連する歴史的事件
1200
鎌倉文化
12〜13世紀、武士政権の成立とともに展開した力強く写実的な文化。公家文化(伝統)と武家文化(新興)、宋・元からの新しい影響が融合した。彫刻では運慶・快慶ら慶派が東大寺南大門金剛力士像(1203年)、興福寺北円堂無著・世親像などの傑作を残した。建築では東大寺南大門の大仏様、円覚寺舎利殿の禅宗様が伝来。鎌倉新仏教(法然・浄土宗、親鸞・浄土真宗、一遍・時宗、栄西・臨済宗、道元・曹洞宗、日蓮・日蓮宗)が庶民に広まった。文学では『平家物語』『方丈記』(鴨長明)『徒然草』(吉田兼好)の三大随筆、勅撰和歌集『新古今和歌集』(1205年・藤原定家ら撰)が成立。
ゆかりの地 — 1
建仁寺
京都府
建仁2年(1202年)、栄西が鎌倉幕府二代将軍・源頼家の庇護を受けて京都初の禅寺として創建。栄西は2度の入宋(1168年・1187年)で臨済禅と茶の種を持ち帰り、日本の禅宗と茶文化の祖となった。建仁寺では禅の修行とともに茶の栽培と喫茶の習慣を広め、後に著した『喫茶養生記』は日本最古の茶書として知られる。建仁寺は京都五山第三位に列せられ、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」(国宝)を所蔵する。
─ 完 ─
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