備中国(現在の岡山県)の神官・賀陽重兼の家に生まれ、幼くして仏道に進み14歳で比叡山に登った。天台教学を修める傍ら禅への関心を深め、1168年(27歳)に初めて宋に渡り天台の典籍を持ち帰った。1187年には再び入宋し、臨済宗の天台万年寺・虚庵懐敞のもとで本格的に禅を修め、印可を受けて帰国した。帰国後、博多に聖福寺を開いたが旧仏教の比叡山などから「禅は国家を傾ける」と激しく弾圧された。鎌倉幕府の庇護を求めて上洛・下向を繰り返す中、1202年に将軍・源頼家の支援を得て京都に建仁寺を開創し、日本初の禅寺として臨済宗の布教拠点とした。また渡宋の際に茶の種子を持ち帰り、各地に栽培を広めた。1211年には日本最初の茶の本『喫茶養生記』を著し、将軍・源実朝に献上して茶の薬効を説いた。実朝の二日酔いを茶で治したという逸話も伝わる。1215年に75歳で入滅。臨済禅と日本の茶文化という二つの偉大な遺産を後世に残した。