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PERSON
榎本武揚
榎本武揚
蝦夷共和国総裁・明治の政治家
1836-1908 · 享年 72歳
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生涯
幕臣・榎本武規の次男として江戸に生まれた。長崎海軍伝習所で航海術・砲術を学び、1862年からオランダに留学して海軍技術・国際法を修めた。帰国後は幕府海軍の中心的人物として活躍し、戊辰戦争勃発時には幕府艦隊の指揮官として江戸から脱走して榎本艦隊を形成した。函館・五稜郭を拠点として「蝦夷共和国」を樹立し(1868年)、日本初の西洋式選挙(入札)によって総裁に選出された。1869年の箱館戦争で明治軍に敗れ降伏。投獄されたが薩摩藩の黒田清隆らの助命嘆願により赦免された。明治政府に登用されると能力を発揮し、駐露公使として樺太・千島交換条約(1875年)を締結した。以後、海軍卿・逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣など要職を歴任した。旧幕臣から明治政府の重臣へという異例の転身は、実力主義の明治政府の一面を示している。1908年10月26日に72歳で没した。
人物像
合理主義者で国際感覚に優れた先進的な人物。旧幕府への忠義を貫きながらも新時代に柔軟に適応し、実力で地位を築いた。倒れた側の将として潔く降伏し、再起した姿は多くの人に感銘を与えた。
歴史的意義
蝦夷共和国は日本初の近代的選挙を実施した象徴的な政権。その後の外交官・政治家としての活躍は、幕臣から明治官僚への転換の可能性を示した。国際法の知識を活かした外交は明治初期の領土問題解決に貢献した。
逸話・エピソード
蝦夷共和国の夢——幕府海軍の最後の抵抗と国際法の知識
榎本武揚は旧幕府海軍の艦隊を率いて戊辰戦争に参加し、1868年に函館・五稜郭を拠点とした独立政権「蝦夷共和国」を樹立した。議会制的な制度を持つこの政権は1869年5月まで抵抗を続けた。降伏後は処刑を免れ、その後明治政府に仕えてロシアとの樺太・千島交換条約(1875年)を交渉するなど外交官として活躍した。国際法の知識を駆使した外交は高く評価され、明治政府でも文部大臣・逓信大臣・外務大臣などを歴任した。幕臣から明治官僚への転身の成功例として高く評価される。
名言
辞世
「義に殉ずる者はその志にあり、滅びてもなお光る」
ゆかりの地 — 1
五稜郭
北海道
榎本武揚は慶応4年(1868年)に旧幕府海軍を率いて箱館に入り、五稜郭を拠点に蝦夷地を支配する「蝦夷共和国」を樹立、総裁に選出された。明治2年(1869年)5月11日の新政府軍総攻撃で抵抗を続けたが、翌18日に降伏。のちに明治政府に登用され、逓信大臣・農商務大臣などを歴任し、幕府側の人物として最も高い地位に就いた。
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