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PERSON
福島正則
福島正則
賤ヶ岳七本槍
1561-1624 · 享年 63歳
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生涯
1561年、尾張国の出身で秀吉の遠縁。幼少期から秀吉に近侍し、1583年の賤ヶ岳の戦いで敵将・拝郷五左衛門を討ち取る一番槍の功績を挙げ、「七本槍」の筆頭として武名を轟かせた。朝鮮出兵(1592・1597年)にも参加し猛将ぶりを発揮した。秀吉の死後は豪放な性格から石田三成と激しく対立し、武断派の中核を担った。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍の先鋒を務め、奮戦して安芸広島藩49万石という大封を得た。しかしその後、広島城の石垣や櫓の無届け修理が幕府への謀反の意志とみなされ、1619年に改易された。改易の実態は幕府による外様大名への弾圧の側面があったとも言われる。この処分には秀吉への恩義を忘れない本人の性格が影響したともされる。改易後は信州(長野県)高井野で不遇のうちに1624年に63歳で没した。福島正則の豪快な人柄と武勇は後世にも愛され、広島・長野などゆかりの地では今も郷土の英雄として記念されている。
人物像
酒豪で知られる猛将。武勇に優れるが気性が荒く、酒の上での失敗も多かった。三成との確執は有名だが、秀吉への恩義は終生忘れなかったとされる。
歴史的意義
賤ヶ岳七本槍の筆頭として戦国時代を象徴する猛将の一人。関ヶ原での先鋒としての武功は名高いが、改易という結末は戦国武将の栄枯盛衰を物語る。
逸話・エピソード
賤ヶ岳一番槍と関ヶ原——広島49万石の栄光と改易の転落
1583年の賤ヶ岳の戦いで福島正則は敵将を討ち取る一番槍の功を挙げ七本槍の筆頭として名を上げた。関ヶ原(1600年)では東軍先鋒として奮戦し安芸広島藩49万石を得た。しかし1619年、広島城の石垣修理を幕府に咎められ改易された。正則が終生「秀吉への恩義を忘れない」と語り続けたことが徳川から警戒された一因とも言われる。改易後は信州高井野で不遇の晩年を過ごし1624年に没した。
─ 完 ─
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