1544年に美濃国の武将の家に生まれた。若くして千利休に入門し、利休七哲の一人として数えられた。1591年に利休が切腹を命じられた後は、豊臣秀吉・徳川家康に茶頭として仕え「天下一の茶人」と称された。二代将軍秀忠の茶の師も務めた。利休の静謐なわびを継承しつつも、意図的に歪めた造形や鮮やかな緑釉が特徴の「織部焼」を創出するなど、自由奔放で革新的な美意識「へうげもの」の茶を展開し、茶道に全く新しい方向性を示した。歪み・破調・意外性を美の要素とした織部の茶風は後の近代美術にも影響を与えるとされる。1615年の大坂夏の陣後、豊臣方への内通の嫌疑をかけられ、徳川家から切腹を命じられた。享年72歳。