江戸・牛込(現・東京都新宿区)に生まれる。本名は長谷川辰之助。東京外国語学校でロシア語を学び、ツルゲーネフらのロシア文学に傾倒した。坪内逍遥の「小説神髄」の理念に共鳴し、1887年から1889年にかけて「浮雲」を発表した。「浮雲」は言文一致(書き言葉と話し言葉の統一)体で書かれた日本初の近代小説とされ、封建的社会に生きる知識人青年の苦悩と自我の確立を描いた。この言文一致体の確立は、その後の日本語文章の標準的な書き方に決定的な影響を与えた。ツルゲーネフ・ドストエフスキー・ゴーリキーらのロシア文学を数多く翻訳し、日本にロシア文学を紹介する上で最大の功績者となった。「あいびき」「めぐりあい」などの翻訳は独自の文学的評価を持つ。晩年は朝日新聞のロシア特派員として活躍したが、帰国途中の船の中でベンガル湾にて死去した。享年44歳。短い生涯でありながら、日本の近代文学の言語基盤を築いた功績は計り知れない。「二葉亭四迷」のペンネームは「くたばってしまえ(死んでしまえ)」の江戸弁を当て字にしたもので、自嘲と反骨精神の表れとも言われる。