1556年(弘治2年)、近江国日野城主・蒲生賢秀の嫡男として生まれた。幼名は鶴千代。13歳で織田信長に人質として出されたが、信長はその聡明さを見抜き、娘の冬姫を嫁がせて女婿とした。以後、信長の下で数々の戦功を挙げた。1585年頃、イエズス会宣教師オルガンティーノから洗礼を受け、洗礼名「レオン(Leon)」を授かったキリシタン大名でもある。本能寺の変後は秀吉に仕え、1590年の小田原征伐の功により会津黒川(後の若松)42万石に加増、最終的に会津92万石の大領を治めた。会津では鶴ヶ城(若松城)の大改修を行い、城下町の整備に尽力した。また千利休の高弟「利休七哲」の一人に数えられるほど茶の湯に通じ、文化人としても一流であった。しかし1593年に名護屋城で発病し、1595年(文禄4年)2月7日、伏見の蒲生屋敷にて病没。享年40。死因は直腸癌または肝臓癌と推定されるが、後世には豊臣秀吉や石田三成による毒殺説も囁かれた。