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PERSON
鑑真
鑑真
唐招提寺開山
688-763 · 享年 75歳
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生涯
唐(中国)の揚州江陽県に生まれた高僧。14歳で出家し、洛陽・長安で律宗・天台・禅など各宗を修めた後、揚州大明寺の住持として戒律の大家となった。742年、来日した日本の僧・栄叡と普照の懇請を受け、正式な戒律を日本に伝えるため渡日を決意した。しかし渡航は仲間の密告・嵐・海賊・眼病など度重なる障害に阻まれ、5度の失敗を余儀なくされた。12年にわたる挑戦の末、失明してなお諦めず753年についに6度目の渡航を成功させ、薩摩国(鹿児島)に上陸した。754年に奈良の東大寺に戒壇を設け、聖武太上天皇・光明皇后・孝謙天皇以下400余人に授戒を施し、日本に正式な受戒制度を確立した。759年には平城京に唐招提寺を創建し、日本律宗の根本道場とした。来日後の10年間は彫刻・建築・薬学など多方面の唐文化を伝え、日本文化の発展に多大な貢献をした。763年、唐招提寺にて76歳で入寂した。
人物像
不屈の意志と深い慈悲心の持ち主。12年間、6度の渡海に挑み続けた執念は日本仏教史上類を見ない。失明してもなお志を曲げなかった信念の人。
歴史的意義
日本の仏教に正式な戒律を伝え、僧侶の質を飛躍的に高めた。唐招提寺は世界遺産として現存。鑑真和上坐像(国宝)は日本最古の肖像彫刻の一つ。
逸話・エピソード
鑑真の渡航——五度の失敗と失明を乗り越えた唐招提寺の開山
中国の高僧・鑑真は日本からの招きに応じて渡日しようとしたが、5度の渡航失敗(嵐・難破・反対勢力など)を経て両目の視力を失った。それでも諦めず、753年に第6回目の渡航で遂に日本に到達し、754年に東大寺で正式な授戒を行った。759年に奈良・唐招提寺を創建し、日本に正式な戒律(授戒制度)をもたらした。その不屈の意志は日本人に深い感動を与え続けている。
関連する歴史的事件
750
天平文化
8世紀、聖武天皇の治世を頂点とする奈良時代の貴族文化。盛唐文化と仏教(鎮護国家思想)を基盤とし、国際色豊かな様式を確立した。東大寺大仏(廬舎那仏・752年開眼供養)、東大寺法華堂(三月堂)不空羂索観音像、興福寺阿修羅像、唐招提寺金堂と鑑真和上坐像(唐より6度の渡航で来日)、正倉院宝物(ペルシア・インド・西域の文物を含む)などが代表。文学では『古事記』(712年)『日本書紀』(720年)『風土記』『懐風藻』、そして大伴家持編と伝わる『万葉集』(約4500首)が成立。東西文化の結節点となった。
ゆかりの地 — 1
唐招提寺
奈良県
天宝元年(742年)、唐の高僧・鑑真は日本からの留学僧・栄叡と普照の懇請を受け渡日を決意。しかし5度の渡航はすべて失敗し、嵐や遭難、弟子の妨害に阻まれた。その間に失明するも志を曲げず、天平勝宝5年(753年)、66歳にしてついに6度目の渡航で来日を果たした。東大寺に戒壇を設けて正式な授戒制度を確立し、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を創建した。鑑真の不屈の精神は井上靖の小説『天平の甍』に描かれ、日中文化交流の象徴として語り継がれている。
─ 完 ─
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