唐(中国)の揚州江陽県に生まれた高僧。14歳で出家し、洛陽・長安で律宗・天台・禅など各宗を修めた後、揚州大明寺の住持として戒律の大家となった。742年、来日した日本の僧・栄叡と普照の懇請を受け、正式な戒律を日本に伝えるため渡日を決意した。しかし渡航は仲間の密告・嵐・海賊・眼病など度重なる障害に阻まれ、5度の失敗を余儀なくされた。12年にわたる挑戦の末、失明してなお諦めず753年についに6度目の渡航を成功させ、薩摩国(鹿児島)に上陸した。754年に奈良の東大寺に戒壇を設け、聖武太上天皇・光明皇后・孝謙天皇以下400余人に授戒を施し、日本に正式な受戒制度を確立した。759年には平城京に唐招提寺を創建し、日本律宗の根本道場とした。来日後の10年間は彫刻・建築・薬学など多方面の唐文化を伝え、日本文化の発展に多大な貢献をした。763年、唐招提寺にて76歳で入寂した。