1288年、後宇多天皇の皇子として生まれた。即位後から院政を廃止して天皇親政の復活を強く志し、幕府打倒計画を秘密裏に進めた。1324年の正中の変では事前に露見して未遂に終わり、1331年の元弘の変でも失敗して隠岐島に流された。しかし翌1332年に島を脱出し、楠木正成・名和長年らが各地で挙兵した。さらに足利高氏(後の尊氏)・新田義貞が幕府を見限って後醍醐方に参じると、1333年に六波羅探題と鎌倉が相次いで陥落し、鎌倉幕府は滅亡した。後醍醐天皇は建武の新政(1334年〜)を開始し、公家優先・武士軽視の政策を推し進めた。しかし多くの武士が旧来の所領安堵を求める中で政策への不満が爆発し、足利尊氏が1335年に離反した。後醍醐は吉野(現・奈良県吉野町)に逃れ南朝を開いて北朝と対立する南北朝時代が幕を開けた。1339年に崩御。「朕の志を継げ」との遺言を残し、晩年まで北朝との抗争を諦めなかった。享年52。