1560年(永禄3年)、播磨国に後藤基国の子として生まれた。本名は基次。黒田孝高(官兵衛)に養育され、黒田家に仕えて数々の戦功を挙げた。朝鮮出兵や関ヶ原の戦いでも活躍し、黒田二十四騎・黒田八虎の一人に数えられる猛将であった。しかし主君・黒田長政との不和から1606年頃に黒田家を離れ、浪人となった。長政が他家への仕官を妨害したため、各地を転々とした。1614年の大坂冬の陣では豊臣秀頼の招きに応じて大坂城に入城し、大坂五人衆の一人として活躍。1615年(元和元年)5月6日、大坂夏の陣の道明寺の戦いで約2,800の兵を率い、伊達政宗・松平忠明らの大軍を相手に約8時間奮戦したが、鉄砲に撃たれて壮絶な戦死を遂げた。享年56。