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PERSON
後藤新平
後藤新平
台湾民政長官・関東大震災後の東京復興計画立案者
1857-1929 · 享年 72歳
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生涯
陸奥国胆沢郡(現・岩手県奥州市)に生まれる。医師として出発し、愛知県立医学校校長を務めた後、児玉源太郎台湾総督の下で台湾民政長官(1898-1906年)に就任した。台湾では「生物学的統治」の原則に基づき、土地調査・阿片政策・衛生施設整備・鉄道敷設など台湾近代化の基盤を精力的に整備した。1906年に初代満鉄(南満州鉄道)総裁に就任し、満洲経営の基礎を築いた。逓信大臣・内務大臣を歴任した後、1920年に東京市長に就任した。1923年の関東大震災後は内務大臣として東京の帝都復興計画を立案し、近代的な道路・公園網の整備を試みた(予算削減で縮小されたが)。「大風呂敷」と称されたが、都市計画の先駆者として高く評価されている。ソビエト・ロシアとの外交折衝にも尽力した。晩年まで政治的活動を続け、1929年に逝去した。享年71歳。
人物像
「大風呂敷」と称されるほどの構想力と実行力を持つ政治家・行政家。医師出身の合理的思考と「生物学的統治」という独自の政治哲学を持ち、大きなビジョンを掲げて組織を動かした。
歴史的意義
台湾・満洲の近代化行政の先駆者として評価される。関東大震災後の東京復興計画は縮小されたが、現代東京の都市構造の原型を描いた。「大風呂敷」という言葉は今でも大きな構想を指す言葉として日本語に残る。
逸話・エピソード
関東大震災後の帝都復興計画——後藤新平の都市計画と「大風呂敷」
後藤新平は台湾総督府民政長官として台湾の近代的インフラを整備し、満州鉄道初代総裁として大連を近代都市に発展させた。1923年の関東大震災後には内務大臣・帝都復興院総裁として東京の復興計画を立案した。広大な公共空間を確保した壮大な計画は「大風呂敷」と呼ばれ財政上の理由で縮小されたが、現在の東京の骨格の一部を形成した。
─ 完 ─
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