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PERSON
後鳥羽上皇
後鳥羽上皇
承久の乱の首謀者
1180-1239 · 享年 59歳
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生涯
1180年、高倉天皇の第四皇子として生まれた。壇ノ浦の戦い(1185年)で安徳天皇が平家と共に入水すると、三種の神器を持たないまま異例の形式で即位した。武芸・和歌・蹴鞠・管弦・書など多方面に卓越した才能を持ち、自ら刀を鍛えるほど武人の気質も持っていた。1201年に『新古今和歌集』の編纂を命じ、藤原定家らと共に自らも撰者として関与した。この和歌集は日本和歌史上の最高傑作の一つとして後世に高く評価されている。幕府との緊張は長年続いていたが、1221年、執権・北条義時を「朝敵」として討伐する宣旨を発し承久の乱を起こした。しかし幕府は北条政子の演説によって御家人を結束させ、東海・東山・北陸の三方向から大軍を送り込んだ。わずか一ヶ月足らずで朝廷軍は壊滅し、後鳥羽上皇は隠岐島に流された。19年後の1239年、島流しの地で60歳で崩御した。承久の乱の敗北は朝廷の権威を決定的に低下させ、武家の優位を歴史的に確定させた大事件であった。
人物像
文武両道の多才な上皇。和歌の天才にして武芸を愛する行動派でもあった。幕府への対抗心が強く、朝廷の権威回復に執念を燃やした。
歴史的意義
承久の乱の敗北は朝廷の権威を決定的に低下させ、武家政治の優位を確立した。一方、新古今和歌集は日本和歌史の最高峰の一つとして不朽の評価を受ける。
逸話・エピソード
刀を自ら鍛えた上皇——文武両道の天才
後鳥羽上皇は和歌・蹴鞠・管弦・書など多方面に卓越した才能を持っただけでなく、刀剣の鍛冶にも強い関心を持ち、諸国から名匠を集めて自らも刀を鍛えた。上皇が鍛えた刀は「菊御作(きくごさく)」と呼ばれ、刀身に菊紋が刻まれた。承久の乱で隠岐に流された後も刀を鍛え続けたとされ、文武両道の才能が宮廷の慣例を超えていた。
承久の乱——朝廷対幕府の最終決戦
1221年、後鳥羽上皇は執権・北条義時を討伐する宣旨を発したが、北条政子が鎌倉の御家人に向けて「頼朝公の御恩を忘れるな」と演説し、御家人は結束した。幕府は東海・東山・北陸の三方向から大軍を送り込み、朝廷軍はわずか一ヶ月で壊滅した。上皇は隠岐島に19年間流され、朝廷は二度と幕府に対抗できなくなった。
承久の乱の敗北
1221年、北条義時追討の院宣を発して挙兵したが、北条政子の演説で結束した幕府軍に大敗。隠岐に配流され、19年間の流謫の末に崩御した。
新古今和歌集
勅撰和歌集「新古今和歌集」の編纂を命じた。幽玄・余情の美を追求した歌風は日本文学史上の最高峰の一つとされる。刀剣の名手としても知られた多芸の帝王。
─ 完 ─
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