生没年不詳。下野宇都宮氏の家臣で、益子氏とともに「紀清両党」と呼ばれた有力武士団・芳賀氏の一員。主君・宇都宮景綱に仕え、永仁年間(1293〜1298年)に鬼怒川西岸の要地に飛山城を築いたと伝わる。飛山城に拠っていた間、芳賀氏は清原氏を称したとされ、これが現在の宇都宮市東部の地名「清原」の由来になったという。芳賀氏はこの後も宇都宮氏の重臣として上野国・越後国の守護代を務めるなど勢力を拡大したが、南北朝の戦乱期には南朝方の攻撃を受けて飛山城が落城したこともあった。生没年を明記した一次史料は確認できず、掲載の年代は主君・宇都宮景綱の在世期間と築城年代からの推定である。