武蔵国児玉郡(現・埼玉県本庄市)に生まれた塙保己一は、5歳のころから眼病を患い、7歳で完全に失明した。しかし絶望には沈まなかった。15歳で江戸に出て検校(盲目の最高位)を目指し、国学・和学を学んで天才的な記憶力と学識を磨いた。彼が生涯をかけて成し遂げた仕事は空前絶後の規模を持つ。絶滅の危機にあった日本古典籍を全国から収集し、「群書類従」(全530冊)を41年の歳月をかけて完成させた。現代的に言えば、一人でウィキペディアの日本古典版を作ったようなもので、その情報量は後世の研究者にとって替えのきかない宝となっている。保己一の名を世界に広めたのは、意外なことに米国の盲目の教育者ヘレン・ケラーだった。1937年に来日したケラーは「私が視聴覚障害を乗り越える勇気を持てたのは、塙保己一という方がいたからです。私の先生サリバン先生も保己一先生をとても尊敬していた」と述べた。目の見えない一人の少年が、41年という気の遠くなるような時間をかけて日本文化の遺産を後世に伝えた——その執念は時代と国境を超えて人を動かす。