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PERSON
原田左之助
原田左之助
新選組十番隊組長
1840-1868 · 享年 28歳
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生涯
伊予松山藩士の子として生まれ、槍の名手として知られた。文久3年(1863年)に試衛館一派と共に上洛し、新選組では十番隊組長を務めた。池田屋事件・禁門の変など数々の戦闘に参加し、槍使いとして恐れられた。腹部に傷跡があり、「切腹の傷を貫通させた」などの武勇伝が伝わる。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの後、甲州勝沼の戦い・宇都宮城の戦いにも参戦した。その後の行方については諸説あり、明治2年(1869年)の上野彰義隊の残党が引き起こしたとされる「不忍池の乱」で戦死したとも伝わるが、真相は不明な点が多い。生没年も確定できていない部分があり、謎多き人物として知られる。
人物像
豪放磊落で親分肌の人物。槍の腕前は新選組随一ともいわれ、大柄な体格と豪胆さで隊士から慕われた。
歴史的意義
槍の名手として新選組の戦力を支え、幕末の戦いに生きた武人として語り継がれる。謎の多い最期がさらなる伝説性を加えている。
逸話・エピソード
槍の名手・原田左之助——西南戦争に参加した謎の最期
原田左之助は新選組十番隊組長として槍術の名手として知られた。戊辰戦争後の行方については謎が多く、1868年に上野彰義隊の戦いで戦死したとも、その後も生き延びて1877年の西南戦争に参加して戦死したとも伝わる。徳川幕府が滅亡した後も武士として戦い続けたとするならば、明治の新時代に適応できない「最後の武士」の象徴的な人物となる。その神秘的な最期が「燃えよ剣」など多くの創作物でのキャラクター性を高め、今も人気が高い。
関連する歴史的事件
1864
池田屋事件
1864年(元治元年)6月5日深夜、京都三条小橋の旅館・池田屋(現在の京都府京都市中京区)に潜伏していた尊王攘夷派志士を、新選組が急襲した事件。近藤勇・沖田総司・土方歳三らが率いる新選組は、長州藩を中心とした志士約30名と激闘を繰り広げ、吉田稔麿・望月亀弥太ら複数の志士を討ち取った。長州藩はこの一報を聞いて京都奪還を目指し、翌月の禁門の変を起こすが惨敗。新選組はこの活躍で名声を高め、幕府方の治安維持部隊として確固たる地位を確立した。現在、池田屋跡地は居酒屋チェーン店となっており、当時の間取りを模した内装でその歴史を伝えている。
─ 完 ─
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