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PERSON
支倉常長
支倉常長
慶長遣欧使節
1571-1622 · 享年 51歳
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生涯
1571年頃、陸奥国の武士として生まれ、伊達政宗の家臣となった。1613年10月、政宗の命により慶長遣欧使節の正使として出立した。スペイン人フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを副使に伴い、政宗が建造したサン・ファン・バウティスタ号で太平洋を渡りヌエバ・エスパーニャ(現メキシコ)に到達。大西洋を越えてスペインに上陸し、1614年にスペイン国王フェリペ3世に謁見して通商と宣教師派遣を求める政宗の親書を奉呈した。その後ローマへ向かい、1615年にローマ教皇パウルス5世に謁見して洗礼を受け、「ドン・フィリッポ・フランシスコ・ファセクラ(支倉)」と名乗り、ローマ市民権も授与された。しかし交渉の実質的な成果は得られなかった。長い帰途の末に1620年に帰国したが、この時すでに幕府のキリスト教禁教令が強化されており、使節の目的は頓挫していた。7年に及ぶ旅路を経て故国に戻った常長を待っていたのは、報われることのない苦難であった。1622年に没した。彼の壮大な旅は江戸初期における日本人の世界進出の象徴として現代に称えられている。
人物像
主君の命を忠実に果たすべく、未知の異国へ旅立った忠義の武士。長期にわたる異文化の旅の中でも使節としての役割を全うしようとした誠実さが際立つ。帰国後の処遇は不遇だったが、歴史に残る偉業を成し遂げた。
歴史的意義
日本人として初めてスペイン・ローマを公式訪問した使節として日本外交史上に不滅の名を残す。支倉常長の肖像画はイタリアのボルゲーゼ美術館に所蔵されており、国宝に指定されている。遣欧使節の記録は日欧交流の貴重な証言として世界記憶遺産に登録されている。
逸話・エピソード
ローマ教皇謁見——大西洋を渡った唯一の江戸初期の日本人外交官
支倉常長は1613年、伊達政宗の命でヨーロッパへ派遣された「慶長遣欧使節」の正使を務めた。1615年にローマに到着し教皇パウルス5世に謁見した。しかし帰国した1620年には幕府のキリシタン禁制が強化されており、交渉成果は全て無効となった。常長自身もキリシタンであったため帰国後は厳しい立場に置かれ、1622年に死去した。支倉常長の銅像はスペイン・セビリアにも建てられており、日欧交流の先駆者として400年後の今も両国で称えられている。
─ 完 ─
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