越前福井藩士の子として生まれ、15歳で書いた「啓発録」は今なお日本の青少年教育の古典として読み継がれている。適塾で緒方洪庵に医学・蘭学を学び、江戸で昌平坂学問所にも通った。松平春嶽に才能を見出され藩の政治顧問として活躍、一橋慶喜擁立に向けて諸藩との折衝に奔走した。安政の大獄(1858-1859年)で吉田松陰らとともに捕縛され、1859年に江戸伝馬町で刑死。享年26歳。「啓発録」には「稚心を去れ、勉強を励め、交友を択べ、仁愛を厚くせよ、恥を知れ」という五か条の自戒が記されており、自己啓発の精神を凝縮した名著として現代も読まれている。