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PERSON
畠山重保
畠山重保
陰謀に散った忠臣の子
?-1205 · 享年 25歳
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生涯
武蔵国の名族・畠山重忠の長男として生まれた。父・重忠は「坂東武者の鑑」と称えられた鎌倉幕府随一の清廉の武将であり、重保もその父の薫陶を受けて育った。1205年、北条時政とその後妻・牧の方が、娘婿・平賀朝雅と仲が悪かった重保を陥れようと謀略を図った。牧の方は重保が謀反を企てていると時政に讒言し、重保は鎌倉の由比ヶ浜に呼び出されて三浦義村の手で斬殺された。その報せを受けた父・重忠は武蔵国から弁明のために南下する途中、二俣川(現・神奈川県横浜市)で北条軍の大軍に包囲され、主従わずか136騎で奮戦の末に討ち死にした(畠山重忠の乱)。この事件は冤罪であったことが事後に明らかとなり、政子・義時らは激怒した。主謀の牧の方は流罪となり、時政は出家隠居を余儀なくされた。畠山父子の悲劇は、北条時政の失脚と義時・政子による新体制樹立の直接的な契機となった。
人物像
父譲りの武勇と忠義心を持つ若武者。北条氏の陰謀に巻き込まれ、弁明の機会も与えられずに命を落とした悲劇の人物。
歴史的意義
畠山父子の冤罪事件は鎌倉幕府の権力闘争の悲劇を象徴する。この事件をきっかけに北条時政は追放され、義時・政子による新体制が生まれた。
逸話・エピソード
冤罪で散った父子——牧氏事件の犠牲者
1205年、北条時政の後妻・牧の方は娘婿・平賀朝雅と仲が悪かった畠山重保を謀反人として讒言し、重保は鎌倉・由比ヶ浜で三浦義村の手によって斬殺された。知らせを受けた父・重忠は弁明のために武蔵から南下したが、二俣川で北条軍の大軍に包囲され、わずか136騎で奮戦の末に討ち死にした(畠山重忠の乱)。この事件は後に冤罪であることが明らかになり、北条政子と義時の怒りを招いた。牧の方は流罪となり、時政は出家を余儀なくされた。重保は父と共に、北条氏の権力闘争の犠牲となった悲劇の人物として名を刻む。
─ 完 ─
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