畠山義深
畠山義深
南北朝期の武将・和佐山城主
1331-1379 · 享年 48歳
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生涯
元弘元年(1331年)、畠山家国の子として生まれる。通称三郎。兄・畠山国清とともに室町幕府に仕え、北朝方の武将として関東で活動した。延文元年(1356年)、紀伊国守護として和佐山城を築城。延文4年(1359年)、南朝方の四条隆俊軍が龍門山に布陣すると、義深は和佐山城を拠点にこれを迎え撃ち、南朝方を敗走させた。康安元年(1361年)、兄・国清が伊豆で挙兵した際にはこれに従ったが敗れて降伏。貞治5年(1366年)に幕府から赦されて越前国守護に任じられ、以後は能登守・越中守・河内守・和泉守・紀伊守など諸国の守護職を歴任し、畠山氏6代当主として幕政を支えた。天授5年(1379年)、49歳で没した。
人物像
兄の挙兵に連座して一時失脚しながらも幕府から赦されて要職に復帰するなど、粘り強さと幕府からの信頼回復力を備えた武将であった。複数の令制国の守護職を歴任した実務手腕も評価される。
歴史的意義
和佐山城は南朝方を退けた龍門山の戦いの拠点として知られ、後の天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州征伐でも使用されたと伝わる。義深はのちに室町幕府の管領を輩出する畠山氏の礎を築いた武将の一人である。
さらに深く
家系図
本人
畠山義深
1331-1379
兄弟
?-1362?
畠山国清
関東執事を務めたが、のち幕府に反旗を翻し伊豆で敗死した。
─ 完 ─
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