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PERSON
服部半蔵
服部半蔵
鬼半蔵
1542-1596 · 享年 54歳
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生涯
1542年(天文11年)、三河国に伊賀出身の服部半蔵保長の子として生まれた。本名は正成。16歳で初陣を飾り、以後徳川家康に仕えて数々の戦場で槍の武功を挙げ、「鬼半蔵」と恐れられた。1582年(天正10年)本能寺の変の直後、堺にいた家康を伊賀・甲賀の忍者衆を動員して三河まで無事に送り届けた「伊賀越え」は最大の功績である。この功により伊賀同心200人を預けられ、江戸城西門の警護を担当した。その門は後に「半蔵門」と呼ばれ現在も皇居の門として残る。1596年(慶長元年)11月4日、55歳で没した。
人物像
忠義一徹で実直な武人。忍者の頭領として知られるが、本人は甲冑を着て槍を振るう武士であった。寡黙にして冷静、主君の危機に際しては命を賭して行動した。
歴史的意義
伊賀忍者を統率して家康を守った功績から「忍者の代名詞」として世界的に知られる。半蔵門は東京のランドマークとして今も残り、地下鉄半蔵門線にもその名を留める。
逸話・エピソード
伊賀越え——家康最大の危機を救った脱出劇
1582年6月、本能寺の変が勃発した時、家康はわずかな供回りで堺に滞在していた。明智光秀の追手が迫る中、半蔵は故郷・伊賀と甲賀の忍者衆に連絡を取り、険しい伊賀の山道を通って家康を三河まで護送した。山賊や落武者狩りの危険が渦巻く中、半蔵の手配した忍者たちが道案内と護衛を務め、家康は無事に岡崎城に帰還した。この「伊賀越え」がなければ、後の天下統一はなかったとも言われる。
─ 完 ─
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