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PERSON
ヘボン
ヘボン
医療宣教師・明治学院創立・ヘボン式ローマ字
1815-1911 · 享年 96歳
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生涯
1815年3月13日、米国ペンシルベニア州ミルトンに生まれた。プリンストン大学、ペンシルベニア大学医学部を卒業。一度は清国(中国)への宣教医師として渡航したが妻の健康のため帰国、ニューヨークで医師として成功。1859年、米国長老派教会の宣教師として妻クララとともに来日、横浜に定住した。当時キリスト教は禁教下にあったため、施療所を開き無料で治療しつつ宣教の機会を待った。言語学者としても傑出し、1867年、日本初の本格的和英辞典『和英語林集成』を出版。この辞典に用いた日本語のローマ字表記法が後に「ヘボン式ローマ字」と呼ばれ、現代日本語ローマ字表記の基礎となった。新約聖書・旧約聖書の日本語翻訳(明治元訳聖書)にも主導的役割を果たした。1863年に開いた「ヘボン塾」は後に明治学院(現・明治学院大学)の源流となった。1892年、33年間の日本滞在を終え米国に帰国。1911年、ニュージャージー州イーストオレンジで95歳で没。
人物像
医師・宣教師・言語学者・教育者を兼ね備えた類まれな全方位型知識人。謙虚で勤勉、自らの名を誇らず日本人のために生涯を捧げた。「宣教より前にまず医療」と実践を重視し、無料診療で数万人の日本人を救った。敬虔なキリスト者にして、日本文化への深い敬意を持ち、漢字・日本語の体系的研究にも心血を注いだ。
歴史的意義
ヘボン式ローマ字は現代日本のパスポート・道路標識・国際文書で公式に使われ続け、日本語と世界を繋ぐ架け橋となった。『和英語林集成』は第3版(1886年)まで版を重ね、日本語学の古典として現在も研究される。明治学院は横浜バンド(日本プロテスタント三源流の一つ)の拠点となり、島崎藤村ら明治文壇の重要人物を輩出。戦前戦後を通じてキリスト教主義教育の伝統を守り続けている。
逸話・エピソード
1867年——『和英語林集成』とヘボン式ローマ字
幕末の日本で、日本語を学ぶ外国人に苦痛を与えていたのは体系的辞書の不在であった。ヘボンは助手の岸田吟香らと8年がかりで『和英語林集成』(A Japanese and English Dictionary)を編纂、1867年上海で印刷し横浜で発売。日本語2万語に英語訳・用例を付した画期的辞書であった。この辞典で用いたローマ字表記法(shi, chi, tsu, fu等、英語話者にとって発音しやすい表記)は、1886年の第3版で「ヘボン式」として定着。明治政府の公用綴り「訓令式」と異なる立場から、国際的には最も普及した日本語ローマ字となった。
施療所——無料診療で日本人を救う
1861年、ヘボンは横浜居留地に診療所を開き、無料で日本人を治療した。当時、日本人は西洋医学に懐疑的であったが、ヘボンの白内障手術・抜歯・瘡蓋処置・麻酔を使った外科手術などの実績が評判を呼び、治療を求める日本人が連日殺到。幕府も彼の医術を認め、1862年には沼間守一・林董らを書生として派遣した。歌舞伎役者・沢村田之助の壊疽した足を切断してアメリカ製義足を装着した逸話は特に有名。キリスト教禁教下でも「まず医療、次に教育、最後に伝道」という姿勢で日本人の信頼を勝ち取っていった。
─ 完 ─
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