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PERSON
東山魁夷
東山魁夷
戦後日本画の風景巨匠
1908-1999 · 享年 91歳
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生涯
1908年(明治41年)7月8日、横浜市生まれ、後に神戸市で育った。本名・東山新吉。1926年東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科入学、結城素明に師事。1933年から1935年までドイツ・ベルリン大学美術史学科に留学、ヨーロッパの風景と西洋美術を吸収。帰国後は新文展などで入選を重ねるも、太平洋戦争中の1945年、37歳で召集され熊本歩兵連隊に入隊、敗戦により復員。戦後の困窮と父・母・弟の相次ぐ死を経て、1947年第3回日展に出品した『残照』が日本画家としての地位を確立。1950年発表の代表作『道』(東京国立近代美術館)は、青森県種差海岸の馬の道をモチーフとし、ただ一本の道だけを描いた極めて単純化された画面構成で日本画に新機軸を示した。1955年日本芸術院賞、1969年文化勲章受章。1970年代、戦後ドイツ再訪を契機に「白い馬の見える風景」連作を制作(1972年『緑響く』など)。1968年から1971年にかけて、唐招提寺御影堂障壁画68面を10年がかりで完成させた(『山雲』『濤声』『揚州薫風』『桂林月宵』『黄山暁雲』)。1999年5月6日、千葉県市川市の自宅で90歳で没。
人物像
寡黙で内省的、静謐な精神性を画面に湛えた。早くに肉親を失った深い喪失感が「孤独な道」「静かな森」「白い馬」というモチーフへと昇華された。ドイツ留学時代に学んだロマン派の精神性と日本画の伝統技法を融合させ、「美しい日本の風景」を求めて全国・世界各地を旅した求道的な画家。色彩は抑制された青・緑を基調とし、観る者の心を澄ませる独自の画境を確立した。
歴史的意義
戦後日本画の最大の代表者。代表作『道』『残照』『緑響く』『白い馬の見える風景』連作、唐招提寺御影堂障壁画は、戦後日本人の心の風景を象徴する作品として国民に深く愛された。長野県立美術館の東山魁夷館は約970点を所蔵、千葉県市川市の市川市東山魁夷記念館も主要館。皇室・首相官邸・国会議事堂等にも多数の作品が収蔵されている。書籍『風景との対話』『私の窓』なども広く読まれ、画家でありながら名文家としても評価が高い。
逸話・エピソード
1950年——『道』の革新
1950年、第6回日展に出品した『道』は、青森県八戸市種差海岸の馬の通り道をモチーフとした。画面には人物も家屋もなく、ただ一本の道が前方へまっすぐ伸びるのみ。緑の草原と道だけという極端な単純化は、それまでの日本画の常識を覆す革新で、画面に観る者の人生を映し出す「象徴主義的風景画」を成立させた。「これは私が戦後の困難な時期に通り続けた道であり、これからも歩み続ける道」と魁夷は語った。東京国立近代美術館所蔵、戦後日本画の代表作として教科書にも載る。
1968-1981年——唐招提寺御影堂障壁画
1968年、奈良の名刹・唐招提寺の長老・森本孝順から、開基鑑真和上の御影堂の障壁画制作を依頼された魁夷は、10年以上をかけて全68面の大作を完成させた。日本の風景を描いた『山雲』『濤声』、鑑真の故郷である中国の風景を描いた『揚州薫風』『桂林月宵』『黄山暁雲』からなる。中国編のために魁夷は1976年・1977年に揚州・桂林・黄山を訪問。1981年完成の桂林・黄山編が最後となった。日中文化交流の象徴的事業として高く評価され、毎年6月の鑑真和上開山忌に一般公開される(普段は非公開)。
─ 完 ─
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