3世紀の倭国に君臨した邪馬台国の女王。中国の正史『三国志』魏書の「魏志倭人伝」に詳細な記録が残る。生涯独身で宮室に籠もり、鬼道(呪術・シャーマニズム)を用いて人心を掌握した。1000人の侍女が仕え、外部との接触は弟だけが担ったという。239年に魏の明帝に朝貢の使者を送り、「親魏倭王」の称号と金印・銅鏡100枚を授けられ、国際的権威を高めた。倭国は卑弥呼の登場以前は内乱が続いていたが、彼女が共立の女王となることで安定がもたらされたと伝わる。248年頃に没し、径100余歩の大きな塚が築かれ、百余人が殉葬されたとされる。卑弥呼の死後、男王が立てられたが国内が再び乱れ、13歳の台与(壱与)が女王に即位して収拾された。邪馬台国の所在地は今日まで特定されておらず、畿内説・九州説の論争は日本考古学最大の謎として続いている。