1776年、出羽国久保田藩(現・秋田県)の下級藩士・大和田清兵衛の四男として生まれた。幼名・正吉、のち胤行、篤胤。20歳で出奔して江戸に出、苦学の末1800年、備中松山藩士・平田篤穏の養子となる。1803年、本居宣長の学を知り、没後の宣長に対して「夢中の入門」と称し、自ら宣長門人を名乗った(実際に会ったことはない)。江戸の自宅を「気吹舎(いぶきのや)」と名付け私塾を開設。宣長の国学を批判的に継承・発展させ、独自の「復古神道」を確立した。宣長が古事記・万葉集などの古典研究に基づく実証主義的国学者であったのに対し、篤胤は幽冥界・霊魂不滅を論じ、神道に仏教・道教・儒教・キリスト教の要素まで取り込んで壮大な宗教的体系を構築した。主著『古史伝』『霊能真柱』『仙境異聞』『古今妖魅考』等。1841年、幕府から著述差止・国元帰還を命じられ秋田に戻り、1843年同地で68歳で没。門人は死後を含め1330人余に達し、幕末の尊皇攘夷運動に最大の思想的影響を与えた。