1911年9月——『青鞜』創刊「元始、女性は太陽であった」
1911年9月1日、25歳の平塚らいてうは日本女子大学卒業の先輩・生田長江の激励を受けて、女性による女性のための文芸誌『青鞜』を創刊した。誌名「青鞜」は18世紀英国の知的女性サークル「Blue Stocking」の訳。創刊号巻頭に寄せた「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。私たちは、隠されてしまった私たちの太陽を今や取り戻さねばならぬ」という文は日本の女権宣言として歴史に刻まれた。『青鞜』は5年間続き、性・恋愛・堕胎等タブーとされた問題を大胆に論じ、「新しい女」の代名詞となった。
1920年——新婦人協会、治安警察法第5条改正運動
1920年3月、平塚らいてうは市川房枝・奥むめおと「新婦人協会」を結成。当時、治安警察法第5条は「女子・未成年者・警察官等の政治集会への参加・政社加入」を禁じていた。新婦人協会は請願署名運動・街頭演説・帝国議会への働きかけを展開、1922年3月ついに第5条2項(集会参加禁止)の改正に成功した(政社加入禁止は存続)。これは日本女性が初めて獲得した政治的権利であり、1925年の普通選挙法(男子普選)を経て、1945年の女性参政権実現への重要な布石となった。らいてうはこの運動で市川房枝・奥むめおと共に「大正三婦人」と呼ばれた。