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PERSON
久明親王
久明親王
第8代将軍
1276-1328 · 享年 52歳
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生涯
後深草天皇(持明院統)の皇子として1276年に生まれた。1289年、惟康親王の後任として第8代将軍に就任するため13歳で鎌倉に下向した。在任中は第9代執権・北条貞時(1284〜1301年)および第10〜11代執権ら北条氏が幕政の全実権を掌握し、久明親王は全く政務に関与できなかった。この時期は得宗専制(北条氏嫡流による独裁)が頂点を迎えた時代であり、将軍の存在意義は朝廷との儀礼的な紐帯を保つことのみにあった。1293年の平禅門の乱、1297年の永仁の徳政令など幕府内の重大事件が続いたが、久明はそのいずれにも関与できなかった。1308年、在任19年を経て将軍職を解かれ京都に送還された。後任には自身の子・守邦親王が据えられた。帰京後も長く生き、1328年に53歳で没した。得宗専制の絶頂期に名目的将軍として置かれた皇族であり、鎌倉幕府末期の政治構造を体現する存在。
人物像
完全に形骸化した将軍職にあった皇族。
歴史的意義
得宗専制が頂点に達した時期の名目的将軍。
逸話・エピソード
得宗専制の頂点で傀儡となった皇子——平禅門の乱と永仁の徳政令
久明親王が将軍を務めた19年間(1289〜1308年)は、北条得宗家が幕政を完全に独占した時代の絶頂であった。1293年、内管領・平頼綱が専横をきわめた末に北条貞時に誅殺された平禅門の乱が起き、翌1297年には御家人の窮乏を救うための永仁の徳政令が発布された。いずれも幕府の存亡に関わる重大事件だったが、将軍・久明親王はそのいずれにも何ら関与できなかった。将軍は幕府と朝廷の儀礼的な紐帯を結ぶだけの存在に成り果てており、このことは後に後醍醐天皇が「名目だけの将軍」を批判して倒幕運動を起こす際の遠因の一つとなった。
─ 完 ─
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