1279年生まれ。北条義時の曾孫にあたる赤橋流(あかはしりゅう)北条氏の出身。赤橋流は北条義時の子・重時の系統であり、後に最後の執権・北条守時や足利尊氏の正室・赤橋登子を輩出することになる一族である。煕時は評定衆・連署などの要職を歴任して幕政の実務に精通した。1311年、第10代執権・師時と第9代得宗・貞時が同年に死去するという混乱の中、翌年第11代執権・北条宗宣が就任したが在任わずかで辞任、第12代執権として煕時が就任した。この時期は得宗家の権威が揺らぎ始め、内管領の長崎氏が幕政を左右するようになっていた。煕時は幕府後期の難しい状況において執権の職務を誠実に果たし、行政の継続性を保つことに努めた。1315年に36歳で没し、後任として赤橋流の北条基時が第13代執権に就任した。幕府末期の権力移行期において、赤橋流という一門の連続性の中で着実に職責を全うした人物。