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PERSON
北条守時
北条守時
最後の執権・第16代
1295-1333 · 享年 38歳
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生涯
鎌倉幕府最後の第16代執権。北条氏赤橋流の出身で、妹の赤橋登子は後に足利尊氏の正室となった。1326年に執権に就任したが、この頃の執権職はすでに形骸化しており、実権は内管領の長崎高資ら得宗被官が握っていた。1333年、後醍醐天皇の倒幕運動が各地に広がり、足利高氏(尊氏)が六波羅探題を攻め落とし、新田義貞が鎌倉に攻め寄せた。守時は最後の執権として新田軍を迎撃すべく洲崎の戦いに出陣したが、奮戦の末に自害し、北条氏の執権政治は150年の歴史に幕を閉じた。
人物像
形骸化した執権職にありながらも最後まで武家の矜持を貫き、自ら出陣して戦死した。義弟の尊氏が裏切る中での苦悩も推察される。
歴史的意義
北条執権政治の最後を飾った人物。鎌倉幕府滅亡の象徴的存在として歴史に記憶される。妹の登子を通じて足利氏と北条氏は姻戚関係にあり、室町幕府の成立にも間接的に関わった。
逸話・エピソード
義弟・足利尊氏の離反を見届けた最後の執権
北条守時の妹・赤橋登子は足利尊氏の正室であり、守時と尊氏は義兄弟の関係にあった。1333年、後醍醐天皇の倒幕運動が激化すると尊氏は幕府から離反し、六波羅探題を攻め落とした。義兄弟に裏切られた守時は最後の執権として新田義貞の鎌倉攻めを迎え撃つため自ら出陣し、洲崎の戦いで奮戦の末に自害した。その際、「いくさかは 時の流れに さからはず ただうかぶのみ かわ浪の上」と辞世の句を詠んだとも伝えられる。義兄弟の裏切りという個人的悲劇と公的使命の間で、武士として最期を全うした。
─ 完 ─
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