1275年生まれ。北条義時の曾孫にあたる北条氏傍流・名越流(なごえりゅう)の出身とされる。幼少期より評定衆などの幕府要職に就き、幕政の実務を担ってきた。1301年、北条貞時が酒色にふけり政務から遠のく中、第10代執権に就任した。しかし得宗家の総帥・貞時(得宗)は出家後も実権を握り続けており、師時の執権職は名目的なものに過ぎなかった。実際の幕政は内管領(ないかんれい)の長崎円喜・長崎高資ら得宗被官が主導した。師時はこうした構造的制約のもとで職務に励み、幕府内の秩序維持と行政の継続性を確保することに貢献した。1311年、九代執権・北条貞時が41歳で病没した同年に師時も世を去った。享年37歳。同年の二人の死は幕府の権力構造に新たな空白を生み、第11代執権として北条宗宣が就任する契機となった。短命であったが、得宗専制の最盛期において名目的な最高職を誠実に担い続けた人物である。